物理と数学の、概念登場時期のずれについて

 

物理学は常に数学の発展と共に進歩してきた。

というより物理学から必要に駆られた要請によって新たな数学概念が切り開かれてきた。

したがって当然、物理を学ぶ際には現象のもの理解とその裏に潜む数学的内容の理解が両輪となるのだが、

なぜだか日本学校教育においては、この前提が上手く機能していない。

物理分野においてある現象を習ったその翌年に、ようやく数学分野において必要概念が登場するといった具合だ。

具体的には、以下のようなものがある。

まあ大学まで来ると履修順もある程度好きにできるのであくま一般的な例だが、それでも通常のシラバスでは上記時期に学ぶとされることが多い。

なぜこのようなことになっているのだろう?

はっきり言って物理が「公式の暗記ゲー」になっているのはほとんどこのすれ違いが要因だ。根本的に理解するための道具がないから、その結果だけを公式として先回りに輸入しているのだ。

単純に小学校低学年の段階で理科の履修時期を1年後送りにすれば済むと思うのだが、何か問題があるのだろうか?

https://anond.hatelabo.jp/20200614155057

背景には、あくまで観測事実と実験結果の「地道な積み重ね」から帰納的に学習する順序を想定する指導要領と、演繹的な学習を望む人たち(手っ取り早く体系を脳みそにインストールしたい人たち)の間の対立があるのだろう。

その意味では、「観測事実を説明するのに、まだ知らない数学が必要だ → だからその次の年に学ぶ」という順序は理解できる。

「サイエンスの基本を追体験させたい」という指導要領を策定した人たちの願いを、そこから読み取れなくもない。


ただ問題は、実際にそれを学習したり指導したりする人たちが、それに割ける時間だ。このことを、指導要領、もとい、これを確定させた人たちは、たぶんあまり考慮していない。

とりわけ高校の課程にあっては、現実問題として、標準時間数だけで余裕をもって教科書の全課程を終えられる、ということは少ない。

だから勢い、「手っ取り早く体系をインストール」という発想に、なる。
これ自体は悪いことではない。
またこれは、諸外国に比べて過多なカリキュラムを一定期間内に「より」たくさん、かつ深く吸収することのほうを、大学が求めたことに、学習者や指導者が「適応」した結果であるとも言える。

どちらがいいかは、一概には言えない気がするけれど、両者のやりかたを比較検討した実証的研究でもあれば、もう少しなにかは言えるかもしれない。