物理と数学の、概念登場時期のずれについて
というより物理学からの必要に駆られた要請によって新たな数学の概念が切り開かれてきた。
したがって当然、物理を学ぶ際には現象そのものの理解とその裏に潜む数学的内容の理解が両輪となるのだが、
なぜだか日本の学校教育においては、この前提が上手く機能していない。
物理分野においてある現象を習ったその翌年に、ようやく数学分野において必要な概念が登場するといった具合だ。
具体的には、以下のようなものがある。
- 小学校6年の理科で「てこ」の法則性を学ぶ。この背景にあるはずの「反比例」の関係は中学1年の数学で習う。
- 中学校3年の理科で力の分解を学ぶ。この背景にあるはずの「三角比」は高校1年の数学Ⅰで習う。
- 中学校3年の理科で運動エネルギーを学ぶ。この背景にあるはずの「二次関数」は高校1年の数学Ⅰで習う。
- 高校1年の物理基礎で等加速度運動を学ぶ。この背景にあるはずの「多項式の微積分」は高校2年の数学Ⅱで習う。
- 高校1年の物理基礎で平面上の力のつり合いを学ぶ。この背景にあるはずの「ベクトル」は高校2年の数学Bで習う。
- 高校2年の物理で円運動・単振動を学ぶ。この背景にあるはずの「三角関数の微積分」は高校3年の数学Ⅲで習う。
- 高校3年の物理でローレンツ力を学ぶ。この背景にあるはずの「外積」は大学1年の線形代数で習う。
- 大学1年の力学で加速度を使った方程式の立式を学ぶ。この背景にあるはずの「微分方程式」は大学2年の微分方程式論で習う。
- 大学1年の電磁気学でマクスウェル方程式を学ぶ。この背景にあるはずの「勾配・発散・回転」は大学2年のベクトル解析で習う。
- 大学2年の量子力学でシュレディンガー方程式を学ぶ。この背景にあるはずの「作用素論」は大学3年~の函数解析で習う。
まあ大学まで来ると履修順もある程度好きにできるのであくまで一般的な例だが、それでも通常のシラバスでは上記時期に学ぶとされることが多い。
なぜこのようなことになっているのだろう?
はっきり言って物理が「公式の暗記ゲー」になっているのはほとんどこのすれ違いが要因だ。根本的に理解するための道具がないから、その結果だけを公式として先回りに輸入しているのだ。
背景には、あくまで観測事実と実験結果の「地道な積み重ね」から帰納的に学習する順序を想定する指導要領と、演繹的な学習を望む人たち(手っ取り早く体系を脳みそにインストールしたい人たち)の間の対立があるのだろう。
その意味では、「観測事実を説明するのに、まだ知らない数学が必要だ → だからその次の年に学ぶ」という順序は理解できる。
「サイエンスの基本を追体験させたい」という指導要領を策定した人たちの願いを、そこから読み取れなくもない。
ただ問題は、実際にそれを学習したり指導したりする人たちが、それに割ける時間だ。このことを、指導要領、もとい、これを確定させた人たちは、たぶんあまり考慮していない。
とりわけ高校の課程にあっては、現実問題として、標準時間数だけで余裕をもって教科書の全課程を終えられる、ということは少ない。
だから勢い、「手っ取り早く体系をインストール」という発想に、なる。
これ自体は悪いことではない。
またこれは、諸外国に比べて過多なカリキュラムを一定期間内に「より」たくさん、かつ深く吸収することのほうを、大学が求めたことに、学習者や指導者が「適応」した結果であるとも言える。
どちらがいいかは、一概には言えない気がするけれど、両者のやりかたを比較検討した実証的研究でもあれば、もう少しなにかは言えるかもしれない。